中島裕翔の美しい夜明け

裕翔くんの初主演映画『ピンクとグレー』が本日2016年1月9日に公開されます。


わたしは一足先に完成披露試写会で観ましたが、素晴らしい映画です。「今まで見せなかった顔を見せてる」と裕翔くん自身が語っていたように、今までにないようなシーンがあり、今まで見たことのないような表情をたくさん見せてくれています。裕翔くんのどの表情も美しく、映画自体もとても美しいです。映像も美しいし、物語も美しいです。きれいなことばかりを描いているのではありませんが、そのことでより美しさが際立ちます。芸能界ものとしても、青春群像劇としても、ひとりの青年の成長ものとしても最高の物語です。ぜひたくさんの人に観てほしいと思います。


裕翔くんが映画に主演なさることができて、わたしは本当に嬉しく思います。
ここまでの道のりは決して平坦ではありませんでした。
裕翔くんがジャニーズ事務所に入ったのが2004年、Hey!Say!JUMPとしてデビューしたのは2007年のことです。事務所に入ってすぐ、裕翔くんは広く活躍の場を得ます。ジュニアとしてセンターで歌い、亀梨くん主演の『野ブタをプロデュース』、木村拓哉さん主演の『エンジン』などドラマにも出演していました。「推されジュニア」でした。2007年に、今のHey!Say!JUMPの前身となるユニットHey!Say!7ができた時も当然のようにセンターでしたし、07年11月にHey!Say!JUMPが結成されデビューした時も7の中ではトップの位置にいました。
それが変わっていくのは2008年です。セカンドシングルの『Dreams come true』では山田高木がツートップとなり、それ以降は実質山田くんワントップとなり、裕翔くんの立ち位置は下がって行きます。09年になるとますます状況は厳しくなり、高校の同級生でもある山田くんと知念くんがNYCを結成しその活動が増える一方、JUMPは一年以上CDリリースが途絶えます。レギュラーのバラエティがなくなり、裕翔くんが地上波のテレビ番組に出る機会はほとんどなくなってしまいました。
当時のJUMPには固定の並び順がありました。セブンが1〜5、BESTが6〜10を割り振られています。当初は裕翔くんは1番でした。山田くんが2、知念くんが3、森本くんが4、圭人が5です。これが人気順であった、とは言いません。しかし少なからず反映していたのだと思います。ある日公式サイト上でこの並び順が変わりました。それに伴いwebの連載の更新順も変わりました。2010年6月30日のことです。あまりにもショックだったので今でも日付を覚えています。
この時期は裕翔くんにとってとても厳しい時期だったと思います。
裕翔くんが高校生であった3年間、ドラマ出演は1本だけです。それも、高校生最後の3ヶ月でした。この頃はJUMPとしてもリリースも少なかった時期です。個人の仕事はなく、JUMPの中でも目立たない位置にいることが多く、ネットでは、存在感がない、空気、といった表現で評されることもしばしばでした。それに加え、JUMPの中においての人間関係もうまくいってないように見受けられました。
あの3年間はとても長かったです。とてもとてもとても長かったです。裕翔くんの魅力が記録されないまま時が過ぎていくのがもどかしくてしょうがなかったです。裕翔くんが活躍しない世界なんて間違っていると本気で思っていました。
ただのファンのわたしにとってあれほど長かったのだから、裕翔くん本人にとってはどれだけ長かったことでしょう。裕翔くんも最近のインタビューで語っているように、悔しい思いも歯がゆい思いもたくさんしたと思いますし、他人を羨むこともたくさんあったと思います。
それでも裕翔くんは情熱を失わず、いつでも一生懸命でひたむきな姿をみせてくれていました。


高校を卒業された2012年あたりから状況は良くなっていきます。『理想の息子』『シェアハウスの恋人』などドラマに出演されるようになり、FINE BOYSのモデルとしてのお仕事も始まります。そして風向きががらりと変わったのは2013年の『半沢直樹』です。説明は不要でしょう。最高視聴率が40%を越えたドラマです。当時日本に住んでいてこのドラマを知らないという人はかなり少ないのではないでしょうか。裕翔くんは主人公の部下という役で多くの人に印象を残します。
2014年からは裕翔くんの快進撃が始まります。『弱くても勝てます』『水球ヤンキース』と立て続けに連続ドラマにご出演され、『水球ヤンキース』では初めて主演を務めます。JUMPとしてもCDがコンスタントにリリースされるようになり、『水球ヤンキース』の主題歌であった『明日へのYELL』は裕翔くんがセンターでメインボーカルです。二十歳を過ぎてからはメンバーとの仲も深まっていきました。
2015年には月9ドラマ『デート』に出演され、新境地を開拓されます。
そして2016年初春、初主演映画『ピンクとグレー』が公開されます。年末からプロモーションのためにたくさんのテレビ番組にご出演なさり、裕翔くんが表紙を飾る雑誌が本屋に並んでいます。公開日の1月9日には、主演ドラマ『刑事バレリーノ』も放送されます。


状況は嘘のように好転しました。この鮮やかな反転は、すべて裕翔くんの手で行われたことです。
裕翔くんが類稀なる美しい容姿を持っていることも、天使のような清らかさと高潔な精神を持っているのも元からです。そのような人の下に、その姿を見せてほしいという人が集まってくるのは当然のことです。時代がやっと追いついた、ということもできます。ですが、裕翔くんの努力によって引き寄せられたのもまた事実です。
裕翔くんはしばしば「ジャニーズっぽくない」と形容されます。俳優業としてはこれはプラスの文脈です。童顔でかわいらしい容姿でないことも、存在感がないと言われることも、かつて裕翔くんを苦しめていたことです。これは「ジャニーズっぽくない」の裏表だと思います。それは今は裕翔くんの武器となっています。どこでも違和感なく溶けこめるというのは役者としてはアドバンテージです。裕翔くんはしたたかさに逆転してみせてくれました。
仕事が少なかった時に打ち込んでいたドラムやカメラはスキルが飛躍的に上がり、今では仕事でも十分活かせる腕前になりました。『ピンクとグレー』の中でギターを弾くシーンがありますが、音楽をやっていた経験がダイレクトに生きています。
かつて裕翔くんが経験した葛藤、抱えていた苦しさ。それもすべて裕翔くんの糧となっています。『ピンクとグレー』はそれがそのまま活かせる役です。自分が経験したことだから役としてうまく演じられる、というほど役者業は単純なものではないとは思います。それでも経験はないよりあるほうがいいはずです。それもすべて裕翔くんの武器です。
「空気が読めない」と言われることがしばしばだった過剰な無邪気さも、場に合わせてチューニングするようになり、今や共演者の複数の人々から「天使」と呼ばれるすてきな性質となりました。


裕翔くんの美しさも情熱も気高さもむかしから変っていません。でも裕翔くんはとても大きく変わりました。自分の持っているものを、その場に最適な形で出せるようになりました。自分の持っていたカードをひとつも失うことなく、悪いカードはすべてその意味を鮮やかに反転させてみせてくれました。その鮮やかさは目を見張るものです。それを成し遂げた裕翔くんの強さに感服します。強く、そしてしなやかでしたたかです。


『ピンクとグレー』という映画は、この鮮やかな反転の象徴のような映画です。2015年冬の裕翔くんの美しさが余すところなく記録されているし、それまでの21年の裕翔くんのすべてが反映されています。裕翔くんのすべてなどわたしが知る由もないのですが、根拠はないけれど断言できます。この映画が初主演映画であることは素晴らしいことです。
今この映画をスクリーンで見ることができることを本当に幸福に思います。
しかも映画作品であるなら、この先裕翔くんのファンになる多くの人が後から知ることもできます。そのことも素晴らしいことだと思います。裕翔くんの美しさを今生きてる人だけで独占するのはもったいないことです。


苦境の時でも情熱を失わず、発揮する場を得てからは存分に持てる能力を開花させた裕翔くん。その存在は多くの人の知るところとなりました。映画の公開によって、さらに人口に膾炙し、活躍の場は増えていくでしょう。
裕翔くんが成長していく過程は本当に美しいものでした。10代の頃の、メランコリーの影が差す儚さのある表情も美しかったし、経験を重ね自信と大らかさを手にした最近の表情もとても美しいです。そして少しずつその手で状況を好転させていったその過程もこの上なく美しかったです。
深い暗闇から現れた朝日が、空を赤く染め、徐々に世界を光で満たしていく、夜明けの瞬間を見ていたようです。この世で最も美しい光景でした。
『ピンクとグレー』が象徴するのは、裕翔くんの美しい夜明けです。夜空と朝日の境目はまさしくピンクとグレーの世界です。
星が瞬く暗い夜空もそれはそれで本当にきれいでした。でもこれからの裕翔くんの世界は光に満ちたものです。光はこの先もっともっと明るさを増していくことでしょう。


『ピンクとグレー』公開おめでとうございます。
この世の素晴らしいことは全部裕翔くんのものです。そのことを映画作品として証明してくれました。
たくさんの方の目に触れることになりますように。