裕翔くんの好きなところ76:ドラム

裕翔くんの数ある特技の中でもっとも特徴的であるのがドラムです。コンサートや舞台では必ず披露されます。
あの端正な顔立ちと細身の体である裕翔くんがドラムを叩くのです。
かっこいい
「かっこいい」という以上のものであり、「かっこいい」という言葉で表せられるすべてです。
裕翔くんのドラムは非常に情熱的です。あれだけ踊っている中でドラムまで叩くのは体力的には相当大変だと思いますが、いつでもエネルギッシュにビートを刻んでいます。

もともとドラムといった特技はあの人数で埋もれないようにあせって付けたものでした。デビューしたらもっと積極的にいかなければと。
(日刊スポーツ2013年1月26日)

と、語るように、最初は「埋もれないため」という動機も大きい中で始めたようです。
以前は、抱えている鬱屈や葛藤をぶつけているのではないかと思うような激しさでドラムを叩いていて、かっこいいけれど見ていてひりひりとせつなくなる感じもしました。今はテクニックも上達して、「感情をぶつける」という荒々しさはなくなったように思います。
楽しそうに、そして情熱的にドラムを叩いています。ドラムを叩くことへの喜びと、音楽への愛情にあふれています。

(ドラムをやってて楽しかったことよかったことは何ですか、という質問に対し)ドラムやってる時がもう楽しいですからね、こうリズム取って、体がそのうち揺れてくるんですね。そうするともうほんとに、体全体でリズムをとれるんで、もうすっごい楽しいんですよね。で、こう曲によってやっぱこう難しいフレーズとか出てくるんですけど、そう難しいのを、練習してがんばってできた時の、達成感、ていうのもありますし。いや、おもしろいことだらけだと思いますよ。(UltraPower2013.3.11)

ドラムという手段を手に入れたことは裕翔くんにとって大きなる自信になったように思います。自信に満ちた裕翔くんはその美しさを力強いものにしています。


オクタビオ・パスというメキシコの詩人の詩論の中に、リズムについてこのような記述があります。

リズムは単なる拍を越えた何か、部分に分割された時間以上の何かである。打と休止の連続は、ある種の意向、つまり、ある方向の如きものを明らかにする。リズムはある期待感を誘発し、ある切望を惹起する。(中略)われわれはリズムとは、それが何であるか判然としないが、とにかく何かに向かって行くことであると感じる。あらゆる リズムとは何らかの方向であり 、意味である。つまり、リズムとはただ単に空疎な拍というだけでなく、ひとつの方向であり、意味なのである。リズムは拍ではなく、根源的時間である。
オクタビオ・パス『弓と竪琴』より)

リズムとは方向であり意味でもあります。
裕翔くんがリズムを刻むという行為は、とても神聖なおこないように感じます。裕翔くんが世界に方向と意味を与えているからです。その姿を見ることができるのを幸せに思います。そのような楽器と出会い、それとともに歩んでくれたことに感謝したいです。