春の夜の夢のごとし

昨日衝撃的なニュースが入りました。Hey!Say!7のラジオ、Hey!Say!7 Ultra Powerの放送時間が変わるというのです。
レコメン公式ツイッターではこのようなアナウンスがなされました。

【お知らせ】 文化放送秋田放送ラジオ福島静岡放送KBS京都でお聞きの方、 「Hey!Say!7UltraPower」は来週から毎週木曜よる11:30ごろ〜11:45ごろの 放送となります。週1回の放送となります。宜しくお願いします。

今まで月曜から木曜の週4回の放送であった番組が、週1回の放送となるのだそうです。放送時間も、今までの10時15分頃からよりも遅くなって夜11時半となるそうです。


まじか…!!!
その報せを見てびっくりしました。
番組が始まったのは2008年の10月、今から5年半前です。「Ultra Power」というタイトルも決まっていないままのスタートでした。最初だけ5人で、それからは2人ずつの持ち回り制になり、2011年秋からはひとりずつの持ち回りと形は変わったものの、放送時間はずっと変わらず月曜から木曜の10時過ぎからでした。
月曜から木曜というと、週7日の内の過半数であり、感覚的には「ほとんど毎日」です。ラジオはテレビと違って改編期や年末に放送休止週が入ったりしないので、本当にほとんど毎日ありました。毎日毎日、夜10時過ぎになると「あ、もうすぐラジオ始まるな」と聞く準備をします。毎回リアタイで聞けるわけでもなく、裕翔くん以外の人の当番の時は気まぐれに聞く程度でしたが、でも毎日10時過ぎには「ラジオの時間だな」とどこかで意識していました。また、その時間にツイッターを開けば、誰かがラジオに関することをつぶやいているのを見ます。そうやって当たり前にラジオを意識する生活が、5年半続いたわけです。もはやすっかり生活の一部です。そういえば番組開始当初にはラジコもなかったし、ツイッターも普及していませんでした。そうやってすっかり使うツールも変わるような時間の間、ずっとほとんど毎日あり続けた番組がUltra Powerでした。
それが終わるなんて…!!!!
衝撃でした。
いや、終わるわけではないんですけど。だから悲しくはないんですけど。でも「ほとんど毎日」なものが週1回になるというのは大きすぎる変化です。
今でも、放送はほとんど毎日とはいっても、収録は3週分ため録りですし、放送される内容的にはそんなに変化はないかもしれません。放送時間が遅くなるということは、今までさんざん悩まされた「野球中継延長による休止」という悲劇が起こらなくなるわけで、それはそれで喜ばしいことです。でも、毎日の習慣がなくなるということのショックはあまりに大きいです。
世の中、終わらないものはないんだなと思いました。当たり前だと思ったこともいつかなくなってしまうのです。永遠はない、という事実を突き付けられた気がします。


始まった当初は、わたしは7贔屓なわけではなかったけれど、とにかくお子様なトークがかわいくてラジオを聞くのがとても好きでした。裕翔くんを応援するようになってからは、他のメンバーとのトークを聞くのがしんどくなった時もあったのですが、それでも安定したレギュラー番組の存在というのは心安らぐものでした。ひとり担当制になってからは、純度100%の裕翔くんの喋りが堪能できて楽しくて楽しくたまりませんでした。
ラジオというのはいいものです。生の声が届く機会というのはありそうで意外とありません。声だけだからこそ伝わるものってたくさんあります。見えないけれど、どのメディアよりも素顔がのぞけます。
裕翔くんに関して言えば、裕翔くんはいつだって伝えたいことがたくさんあって、それを目いっぱいのやる気を持って真っ直ぐに喋って伝えてくれます。そして少し舌足らずな話し方は本当にかわいらしいです。それを聞くのは本当に楽しいです。あれほど見た目が麗しい裕翔くんが、喋って伝わる中身まで麗しいなんて!と毎回感動します。
他のメンバーの回も含めても、Ultra Powerというのは今時稀有な清く正しいアイドルラジオでした。メンバーは基本的にやる気にあふれ、お便りには真面目に答え、決して下ネタなんて言いません。わたしはそれは素晴らしいことだと思います。
そんな楽しみを5年半に渡ってほとんど毎日提供してくれていました。その日々が終わってしまいます。長かったけれど、過ぎてしまえば春の夢のごとしです。


どうやら、4月以降文化放送は週1回15分放送なのに、地方の一部ネット局では30分放送らしく、収録分が全部聞けないかもしれないという懸案はありますが、とりあえず4月以降も続くということで一安心です。
放送時間が短くなる分、中身が濃く充実した内容になればいいなと思います。大人風味にバージョンアップした裕翔くんの喋りが聞けるかなと思うと楽しみです。
終わらないことはないとわかってはいても、生活の一部だったものが失われてしまうことはどうしたって寂しいです。でも、その寂しさを補ってあまりある豊かな未来がくればいいなと願います。