空に舞いがあれ

国立が終わってから一週間ですが、それからずっとヲタクとして躁な状態が続いてます。
はあああああああ国立楽しかったなあああああって反芻しながら、ヒマさえあればずっとアルバムをリピートしてます。ああ楽しかったなあって思いながら聴くと、本当にどれも名曲に聴こえるし(マジカルソングからlet me downにかけてがいちばん好きですが)すっげー名盤なんじゃないの思えます。どれも名曲だし、歌声もひとつひとつが愛しくてしょうがない。
この、同じアルバムばかみたいにずっと聞いていたい感じがすごく久しぶりで、本当にこれが楽しくてしょうがない。心から素晴らしいし何もかも愛しいって思えるアルバムが聞けるって本当に幸せなことだ!という感慨をかみしめながらリピってます。
で、それを味わいつつ、フルーティオCMは解禁になるしラジオはあるしドル誌発売になるし、ゆうと担的にも露出ラッシュでもう大変。
これも本当に楽しくて、ドル誌のグラビア見ては「はあああああああああああん!!!かわいいいいいいい!!!!!こんなかわいい子がいるなんて信じられない!!!!」と号泣し、ラジオを聴いては「はあああああああああああん!!!かわいいいいいいい!!!!!こんな見た目がかわいくてなおかつ喋る声も喋り方もかわいい子がいるなんて信じられない!!!!!!!」とまた号泣してたりしてました。(怖ろしいことにノンフィクション
はああああああああ大好きなアイドルがいる世界って楽しいなああ!!!!なんて最高のワールドなんだ!!!!
という悦びに浸りながら日々を過ごしていました。たまにはこんなこともあります。こんなことがあるからこの生活がやめられないんですね。

 
こんな躁なのは、国立でいろいろとすっきりしたからです。
嵐とJUMPは別の枠組みで見ていると思ってたけど、結局繋がっていたのだなあという話。


わたしはJUMPに嵐を投影していたんだと思います。嵐から失われたと思ったものをJUMPに求めていました。JUMPには嵐のような道のりを辿ってほしかった。でも、なかなかJUMPはそれに応えてくれない。JUMPを取り巻く状況がそれを許してくれない。勝手に夢を見て勝手に失望して妙に苦しい状態になっていました。
でも、嵐から失われたと思っていたものは失われていなかった。わたしが求めていたものは嵐の中にちゃんとあった。国立でそう感じることができました。だからそれをJUMPに求めるという捻じれたことをしなくてもいい。そう思えたら、本当に気持ちが楽になれました。わたしのもやもやも風船とともに空に舞い上がっていった気分。
正直JUMPのこの先が単純にバラ色とは思えないけど、そこはあまり考えずにそういうもんだと思って見ていけばいいかと思えました。
そして!今やるべきことは!現状を憂いたり未来をあれこれ考えることではない!何と言っても今しかないこの瞬間を堪能することだ!!!なかじまゆうと(17)という麗しい季節は二度とやってこない!!!悩んでいる場合ではない、この奇跡を堪能しないと!!!
ということで、目の前にあるものに全力でゆんゆんしていこうと決心したのでした。
そんなわけで電波飛ばしまくりで愛でています。ゆんゆんするのは本当に楽しいですね。