6か月

というわけで2月10日です。
8月10日から6ヶ月経ちました。なかじまゆうとくん17才という麗しい一年が半分過ぎてしまったということです!!!
なんということでしょう!!!麗しい時間が過ぎるのが早すぎます!!!!
こだわり過ぎだと自分でも思いますが、やはり17才は特別な年です。現に17才のゆうとくんは夢のように美しいではないですか!!
これからだってもっともっと美しくなっていくかもしれませんが、17才の今だけの美しさは特別です。あのどこまでも透き通っていくかのような透明感も、匂い立つような色香も、今すぐに壊れてしまうそうな儚さも、手にしはじめたしなやかな頑健さも、今この時だから成立しているものです。
そう思うと妙に焦ります。
この貴重な季節を堪能しなくては!!と思いますが、愛しいと思えば思うほど、失われていくことを思ってせつなくなります。
ともあれ、あと半年の17才、麗しい姿をよいお仕事という形で少しでも見ることができたらと願ってやみません。


今週からラジオがちねんくんとのターンです。
これを聴きながらも、成長して変化していくことのせつなさに泣きたくなっています。
わたしが担降りという名のスタンスチェンジをしたのは去年の5月なんですが、その最後のひと押しがちねんくんとのラジオでした。ドッジボールの話題で「20分休み」という単語が出てきた時に、ゆうとくんは息を飲んで興奮していました。次の日それを思い出して、興奮してる様子に私が興奮してしまって心が決まったのです。というわけでYYは思い出深い組み合わせです。
この時と、ふたりの様子がだいぶ変わったなあ…!!
と、しみじみ思います。そのことがすごくせつないです。変わったというか、成長したなあと思います。YYは基本的に変わらないし、たぶんお互い好きだけどずっと平行線で交わったりしない、その位置関係が心地いいふたりだと思うんです。でも、前はゆうとくんの空回る無邪気さをちねんくんがさらっと受け止めてる印象がすごく強かったんですけど、そういう感じが消えてイーブンになってる。というかむしろはしゃぐちねんくんを受け止めてさえいる…!それがかなり衝撃でした。
それをきっと、大人になったって言うんでしょうね。
いいことです。いいことですけど、さびしいです。そういえば最近あまり無邪気さを空回りさせたりすることがないなと気がついてますますさびしいです。
もうドッジボールや20分休みという単語が出てきてもあれほど興奮しない気がします。
あの時わたしが苛まれていた謎の足の激痛(のちに骨折と判明)もすっかり良くなったように、時間は流れたんですね。時間は流れて人は少しずつ変わっていきます。10代ならその変化はドラスティックでドラマティックです。わかっていたことですが、そんな当たり前のことがどうしようもなくせつないです。
変ーわっていくことをーなぜー ぼくらはおそれるのーかなー 変わらないものを 笑うくーせにー
と嵐さんの「できるだけ」を口ずさみたくなる毎日です。でもきっと、見てる私が変わっていくことを惜しんでいるだけで、彼らはきっと変わっていくことを怖れてはいないんだと思います。そんな姿がまぶし過ぎてたまに直視できなくなります。