呪縛

数日前に北杜夫さんが亡くなったというニュースを見て、中学生の時に北杜夫さんが好きだったことを思い出しました。好きだったわりに本の内容をあんまり覚えてなくて、どんなだったかなあと本棚を漁ったところ「どくとるマンボウ昆虫記」だけ出てきました。ぱらぱらと読み返したらなんとなく記憶がよみがえってきました。虫好きな著者の虫にまつわるエッセイで、虫に対する深い愛情が伝わってきます。わたし自身は虫が特に好きでも嫌いでもないのですが、虫好きな人にはロマンを感じます。たぶんそれはこの辺りに影響を受けているんだと思います。思春期に受けた影響って、すっかり忘れ去ったと思っていても、実は記憶の中に深く静かに沈澱していて、気づかぬうちに呪いのように思考の枠組みを縛っていくのですね。怖いですね。
そんなわけで虫好きな人にロマンを感じる体質なので、ゆうとくんの虫好きという属性はすごく好きです。虫が好きというのは、イノセントな好奇心の象徴な気がするのです。あの大きな瞳が虫を見るときいっそう輝くのかと思うとぞくぞくします。あと、動物の鳴き真似がうまいところと、絵がうまいところも好きです。これにも自然に対する純粋な好奇心を感じます。鳴き真似も絵も、「おもしろおかしくしよう」とか「うまく見せよう」といったあざといことろがなく、自分が見たもの聞いたものを、できるだけ忠実に再現しようとしてる姿勢が見えます。そういうところがとても気高い感じがします。ゆうとくんの、そういうフラットな世界のとらえ方はすごく好きです。しかもさらっとクオリティが高いところがかっこいいです。かなりの特技だと思われるのに、特にそこを推してこないところが更にかっこいいです。
虫好きとか動物の鳴き真似って、いわゆる「かっこいい」要素ではなくて、どちらかというと「間抜け」要素だと思います。男前の属性としてはギャップ要素です。わたしは、かっこいいのにちょっとした変わったところのある人とか好きなので、そういう意味ではわたしの好みに合致するところです。このあたりの萌えについて300時間くらい語れる気がします。
でもゆうとくんの何がすごいって、そういう属性がメインディッシュではないところです。別にそういうところがなくても、ただかっこいいというだけで全然足りてて全然好きだと思えます。属性がどうとかでなく、いるだけで十分です。どストレートにかっこいいのです。しかも、ドラムができたり、タップができたり、馬に乗れたり、この前のアーチェリーみたいなことがこなせたり、どこから切っても「かっこいい」しかないことががんがんできるわけです。はっきりいって過剰です。そこにいるだけで十分にかっこいいのに、もはやそれだけで過剰なのに、その上かっこいい要素がどんどん足されているわけです。やっぱりそこがメインディッシュなんだと思います。過剰すぎてうまく消化できないこともしばしばですが、そういうところを見て「はあ、かっこいい…」とうっとりするのが楽しいです。
そういう公約数的なかっこいいところが十分にある上に、なおかつピンポイントで萌える要素も提供してくるわけです。なんかもう本当にそういうところ困っちゃいます。どこから切り取っていいのかわかんないんですよね。ひとつのところから切り取ろうとか最近は思わなくなりましたけど。ああお手上げだなって思ってしまいます。
お手上げすぎて、何を見ても何を読んでもゆうとくんのことを考えてしまうようになってしまいました。怖いですね。


数ヶ月前の明星で、メンバーを虫に当てはめるお題で、自分が一番好きでかっこいいと思ってる虫に自分を当てはめていたところとかものすごくおもしろかったんですけど、それはまた別の話。てゆうかあれで薮くんをナナフシって言ってたの、言い得て妙すぎて今でもたまに思い出しては笑います。