春の終わり

気がつけば9月に入って一週間経っていました。
ああ、わたしの春が終わったなあ、と最近思います。9月だというのに何を言っているんだという話ですが、ずっと春が続いていたような気がしていたんです。その長かった春も終わったな、と最近になって思います。


わたしは今年のお正月にアジアツアーが発表されてからわりとすぐに、3月の香港公演に行こうと決心しました。行こうと思った理由のひとつは、それが3月だったからです。裕翔くんにとって「最後の春休み」だったからです。その時点で高校は卒業していて、実際には仕事なので休みですらないのですが、それでも一応時期としては春休みで、高校生という身分である最後の時間だったわけです。裕翔くんの最後の春休み!なんという芳しい響き!そして最後の春休みに行く初めての異国の地。これは、そう、卒業旅行!なにそれわたしも行くしかない!!という流れで発想が展開しました。これが行こうと決めた理由の大きな要素のひとつでした。
思いつきでしたが、卒業旅行という響きはなかなかいいものでした。卒業旅行…いい響きだな…裕翔くんと香港に卒業旅行とか甘美な響きすぎる。わたしにとっては自分が納得できる理由をこじつけられるというのは大切なことです。納得するためには物語が必要で、卒業旅行というのはそれに足る思いつきでした。もうこれで卒業してもいいな!これで卒業するというのもなかなか美しい物語かもしれない。と、思ってました、わりと真剣に。卒業というのはオタ卒的な意味です。
オタ卒したかったわけでもないのですが、冬はなんとなく自分のスタンスや思い入れの方向性を迷っていた時期でもあったのです。楽しいと思うためにアイドルを見てるはずなのに執着に足を取られて苦しくなることも多かったし、それから抜け出せるならその方が楽かなと思っていました。あと、海外まで行けばオタクとして「気が済む」のではないかとも思いました。
そんなかんじの、わりと壮大な覚悟をしていたのです。
その3月の公演は「演出上の都合」というひとことで白紙になり、わたしの卒業旅行計画もうやむやになりました。公演自体ないんじゃオタ卒どうこうとか優雅に悩んでる場合ですらねーよ的な事態です。
予定されていた公演が直前になくなることがあり得るのなら、それに対し思い入れを持って物語を夢想するのも無駄なことです。おこなわれない可能性が大きいなら、あれこれ期待を抱かない方がリスク回避という意味で得策です。夢を抱いて裏切られるのはダメージが大きすぎます。ということで、それ以降は何事も深く考えないようにしてきました。
結局その後は5月に横浜公演があり香港公演もありました。それはすごく楽しかったです。迷いは吹き飛んで、ただ楽しさを満喫できました。その5月の余韻が冷めぬまま夏コンが始まって、その内容もまた春の延長戦みたいなものだったので、ずっと同じ季節が続いているような気がしていました。アルバムも発売されたり、裕翔くんに新しいお仕事もあったりして、余計な感慨に浸る暇もなく、自分が冬に抱えていた悲壮な覚悟のことも忘れていました。
でも今ふと、夏ツアーも大半が終わり、次までしばし間が空くタイミングになったので、終わらないような気がしていた春がやっと終わったんだなあという気分になりました。急にそのことがすとんと納得できました。
同時に、ああ高校卒業しちゃったんだなあ…ということにも改めて思い至って感傷的になります。去年までは、あまり現場やテレビなどで裕翔くんの姿が拝めない時は、今頃テストかなとか、行事の準備かなとか学校にまつわることをあれこれ妄想していました。そうすることで、ありていに言えば暇を潰していました。この春からはずっと、暇を潰す必要もないほどいろいろな形でお姿を拝むことができていたので、そんな習慣があったことも忘れていましたが、そういえばそうだったなとふと思い出します。ああ、もうそんなこの世のどこかに存在していたはずのスクールライフもないのだなと思うと「これが高校卒業ということか!」と、その現実にびっくりします。
春が終わったことも、裕翔くんが高校を卒業したことも、もちろん寂しいし喪失感もあるんですが、妙な満足感もあるしわりと晴れやかな気分もあります。
ある意味で「気が済んだ」のかもしれません。わたしにとっての一区切りがやっとついた気がします。
と言っても、オタ卒するつもりも特にないのですが。このまましばらくは緩やかに好きでいられたらいいなと思っています。
わたしにとっては今は春の終わりでも、きっと裕翔くんにとっては春はとうのむかしに終わっている季節だと思います。高校生だった頃のことなんて、ふとした時に思い出しては懐かしくなる、遥か遠い記憶になっているはずです。そうやってハイスピードで駆け抜けていく様子を見ることのできる悦びを改めて噛みしめているところです。