夏の始まり

ひとつ前のエントリが「春の終わり」なので、今回は「夏の始まり」です。わたしの中で夏が始まりました。
今が9月も中旬だということは薄っすらとわかってますが、いいんです。夏です。何が夏かというと裕翔くんのファンとしての夏です。セカンドシーズンです。
わたしは、自分が裕翔くんが好きだということにずっと違和感を抱いていました。すごく執着があることは確かなんですけど、それがなぜなのか、納得いく説明がついていなくて自分でも不思議な気がしていました。裕翔くんが宇宙一かっこいいことは宇宙の真理なのですけど、宇宙一かっこいいということは好きである理由を説明する命題ではないです。かっこいいことと、それを好きであることはまた別の問題です。
この熱が何に由来するのかはいまだによくわかりません。でも裕翔くんを見た時は「はあああああん!!好き!!!!!!」と思うので、その衝動だけを頼りにやってきました。だからずっと、明日の朝目が覚めたらこの熱も冷めているのではないか、という気がしていました。なんなら5秒後くらいにぱたっと興味が無くなってしまうのではないかという気すらしていました。
明日目が覚めてその時すべてを忘れていてもいい、それでも後悔しないように今できるだけの情熱で見守っていこうと思っていました。それがわたしの裕翔くんファンとしての心構えでした。
でも、たぶん明日目が覚めても好きだな、という確信が最近芽生えました。
本当に今さら何を言ってるんだ過ぎるんですけど、この確信はわたしにとってなかなか画期的なことでした。「今」しかないと思って見てたんです、ほんとうに。でも今は未来のこともちょっとだけ考えることができます。おそらくわたしは未来の裕翔くんのことも好きです。少なくとも現時点で予想される未来の裕翔くんのことは好きです。
なぜこういう心境になってきたかというと、たぶん単純に時間が経ったからだと思います。裕翔くんが変わっていってから時間が経ったし、わたしが裕翔くんをを見始めてからもだいぶ時間が経って、今しかないと思っていたその瞬間も積み重なってきました。瞬間が積み重なることで時間の流れが生じ始めたのです。
未来の裕翔くんのことも好きなように、過去の裕翔くんのことも今はやや穏やかに見ることができます。前に書いたんですけど、わたしはたとえば1年前とか2年前の裕翔くんの映像を見ることができなかったんです。ハイスピードで成長していくので、1年前や2年前は見た目も表情も別人のようです。見ると「ああああ!この時の裕翔くんはもういない!!」と思ってせつなくなってしまうので無理だったんです。今でも見るとやっぱりせつなさに身がよじれます。2年前の、わたしが狂おしく好きだった17才の裕翔くんはこの世にいないということはなかなかつらい事実です。でも確かにそこに存在していたということは素晴らしいことではないか、という気持ちになってきました。それは確かに「失われてしまった過去」なんですけど、過去は過去として愛でていったらいいんだなという心境になってきました。
そんなかんじで、ちょっとだけ広い視野を獲得した、ような気がします。
これからはセカンドシーズンです。わたしなりにやみくもに突っ走ってきましたが、これからはちょっとだけ広い視野で、ほんの少し穏やかに、裕翔くんのことを見ていこうと思っています。


意味不明エントリが続いてしまってすみません。
心境はマイナーチェンジなんですけど、今までとだいたい同じようなかんじでここは更新していきたいと思います。よろしくお願いします。
拍手やコメントくださった方々、ありがとうございます。スターもありがとうございました!とてもうれしかったです。