東横線渋谷駅の思い出

本日を持って東横線の渋谷駅の現在の地上2階にあるホームは閉鎖され、明日からは地下のホームに移るそうです。
わたしにとって渋谷駅の東横線ホームは非日常空間への入り口でした。その思い出のホームがなくなってしまうのは寂しいです。
わたしは普段は東横線を利用することはほとんどなく、大学の前半で通学に使っていた以外は、使う時と言ったら横浜アリーナに行く時だけでした。横浜アリーナに行く目的はほぼジャニコンで、ここ数年はほとんどJUMPコンでした。時として「通う」勢いで行っていたこともありました。横アリへの入り口があの渋谷駅でした。
コンサートは、日常とは切り離された夢のような非日常空間です。現実の隣にあるけど、次元が半分ずれたような、ふわりと浮かんだような不思議な空間です。あの渋谷駅の東横線ホームは、日常と非日常をつなぐ場所でした。


駅としてはかなり急なカーブのかかったプラットフォーム、東側が開けてバスターミナルを見降ろす開放的な空間。西側の壁には大規模な広告が展開されている独特の構造。ホームと電車と間の大きな隙間。「ああ、この電車に乗れればきっと開演に間に合う」という安堵感とともに乗り込む列車。きみを好きな気持ちとチケットとうちわと双眼鏡とその他もろもろの荷物が入ったかばんの重み。列車の中を埋めるぴらぴらとした格好に凶器の様なぎっしりとしたうちわをカバンに入れた少女たち。うんざりするような暑さ、もしくはほこりっぽい寒さ。
帰る時の奇妙に空いた車内。友だちと夢中になってしゃべってて渋谷駅が近づくと「ああ、もう着いちゃうのか」って寂しく思ったこと。「じゃあまた明日ね」って友だちと別れてなんだか放課後みたいだなっておかしく思ったこと。はしゃぎすぎた疲労感。
どれも楽しい思い出を彩るディティールです。
「通う」ほど行ったせいで、その中にはそれなりに回を重ねると生じるささやかな倦怠や、夢を見るからこその絶望感があり、かすかな軋轢もありました。でも今となってはそれらすら愛しく思えます。


4月から始まるJUMPの全国ツアーでは、横浜アリーナでの公演はありません。それは奇妙な符号の一致です。ここでひとつの季節が終わったのだな、という気がします。
また新しい渋谷駅を使うこともあるだろうし、東横線横浜アリーナでの新しい思い出ができることもあるでしょう。JUMPに関しても新しい思い出が別の場所でできるでしょう。でも今までのように渋谷で乗り換えて横アリに通うことはなくなります。そうやっていた時の思い出はいったん青春の小箱につめる時なのだと思います。横アリの思い出を、なくなってしまう東横線のホームとともに青春の小箱に詰めなくてはなりません。
あの場所は、楽しい思い出へとつなぐ場所でした。そこがなくなるのはとても寂しいです。でも、なくなるということはもう新たな思い出で上書きされることはないということです。つまりあの場所はすっと非日常への入り口であり続けます。そう思うとちょっとロマンチックな気もします。
きらきらとした思い出が確かにあの場所にあったのだと、そう確信できるから、そんなに悲しくはありません。
でもやっぱりせつなくて寂しくてセンチメンタルに気持ちになります。