不安と欲望の交換

もう2週間近く経ちましたが、13日に全国へJUMPツアーのDVDが発売となりました。裕翔くんにとって10代最後という貴重なシーズンに行われた全国ツアーが映像化されるのはめでたいことです。
Disc1には長野ビックハットで行われた公演の様子が収録されています。それほど大きくない会場であることもあり、客席の様子がかなりの詳細さで映っています。それを見て、見慣れているとはいえ改めて異様な光景だなと思います。
客席はうちわでぎっしりと埋め尽くされています。ファンがうちわを持つのはジャニーズのコンサートのもはや伝統的と言っていい文化で、どこのグループのコンサートに行っても見る光景ではありますが、JUMPのコンサートの客席のうちわ濃度の高さは半端ではありません。本当に隙間なくぎっしりです。カメラに映るような、言い換えればステージや花道に近い席では、うちわを持ってない人の方がマイノリティです。好きなメンバーの名前を掲げ、「投げCHUして」だの「バーンして」だの自分の欲求をストレートに文章にしたものを振りかざします。毎度おなじみの光景ではありますが、何度見ても異様です。
アイドルのコンサートなので当然といえば当然のことでもありますが、不思議といえば非常に不思議な光景です。JUMPコンではそこが独自のシステムとして進化してる気がします。
前にも書きましたが、うちわがぎっしりと並ぶ客席は、少女たちの欲望という果実がたわわに実った畑のようです。それらに対し愛嬌をふりまきリクエストに応えるのは果実の収穫を思わせる行為です。
この果実の収穫行為はなぜこんなエスカレートしたのだろうと考えていたのですが、結局その畑に果実を実らせたのは他ならないJUMP本人たちなんだろうと思います。
なぜみんなうちわを持つのか。答えは簡単です。うちわを持てば構ってもらえるからです。ファンサと言われるものです。JUMPの人たちは、人によって頻度や濃度に差はあれど、基本的にそれはそれはこまめにうちわに反応します。ファンサというのはうれしいものです。自分の方を見て、リクエストに答えてくれればうれしくならないわけありません。自分と目が合うその一瞬のためにお金を払っても惜しくはないと思うほどの魔力があります。タレントがそういう行為を熱心にやっている姿を見れば、客側が自分もその恩恵に浴したいと思うのは自然なことです。なのでうちわは増え続けます。果実を増やし育てているのはステージに立っている本人たちです。
今回のDVDには、Disc2に東京ドーム公演の模様も収められています。
東京ドームでは、今までなかった新しい客席とステージ機構が登場しました。スーパージャンピングシートという、アリーナのセットの中のに、センターステージを囲むように作られた客席と、スカイステージという3階席の下半分を潰して花道にしたステージです。席が埋まらなかったがゆえの苦肉の策とも言えますが、発想としては画期的です。新しい試みでした。
ですがこのどちらも実際に見た時はあまり気持ちのいいものではありませんでした。ジャンピングシートは、そこだけでステージと客席が完結したような空間で、それを遠巻きに見ると疎外感しか生まれません。スカイステージは、とにかく見づらいです。わたしは見えない席ではありませんでしたが、どうやら1階スタンドのかなり多くの席で「スカイステージに行かれるとまったく見えない」状態になっていたらしいです。「見えない」というのは致命的です。どんなに遠くても姿が見えればそれなりの興奮と感動を覚えることができますが、見えなかったら絶望感しか感じません。見えている人の歓声が聞こえればなおさら絶望は深くなります。
この新しい試みをJUMPの人たちは「ファンの子の近くに行くことができた」と満足気にインタビューで言っていました。どこまで本気なのかは推し量れませんが、そこそこの満足感を得ていたのは確かだと思います。JUMPの人たちは「ファンの近くに行きたい」と口を揃えて言います。その心意気は悪いことではありません。でも、ひとりの人はその公演ではひとつの席に固定されている、ということがいまいちわかってないような気がします。ジャンピングシートもスカイステージも、確かにファンの近くに行けるものですが、そのファンというのは限られた席の人だけであって、多くの席の人にとっては自分の近くに来るものでないし、むしろ疎外感が増す分遠くに行かれるようなものです。
ったく!あんなステージとか誰得だよ!!!消滅しろ!!!と呪いたくなりますが、あれは誰得かというとJUMP得なんだと思います。
あのようなセットにいれば、本人たちにとっては「いつでも近くにファンがいる状態」です。その近くにいるファンにファンサして反応をもらえれば、客を喜ばせているという手応えを得ることができます。それが本人たちにとっては安心感につながるのかなと思います。
なぜあんなにファンサに熱心なのか。
不安なんだと思います。
明星の1万字インタビューがJUMPのターンに入って、有岡くんと薮くんのバージョンが公開されました。ふたりとも、経験も少ないまま先輩より先にデビューして、アウェイ感と戦ってきた、みたいなことを言っています(ざっくりしすぎな要約ですが)。JUMPはきっと不安だったのでしょう。自分たちのファンは少ない、でもデビューしたからには結果を出さないといけない、コンサートや舞台に来たお客さんには満足してもらいたい、でも経験も少ないし、こうすればいいという方法論は持ってないし、見せることができるものの引き出しも少ない。そういう中で、ファンの要望に応えるというのがひとつの方法だったのだと思います。うちわという目に見える要求に応えることで、満足感を与えることをし続けました。

欲望に応えることは、自分たちの不安を解消するための手段だったのです。欲望と不安が交換される中で、欲望の果実が実る畑は育っていきました。
それ自体は悪いことではありませんが、目に見えるファンから手応えを引き出すことに執心するあまり、そうでない所にいる人たちがどう思うかどう見えてるかを想像する想像力が足りてないところがあります。不安の大きさは余裕のなさかもしれません。
うちわを持って欲望を表明することは、タレントより自分のことを考えているようなものですが、不安を解消するためのファンサなら、それもファンではなく自分のための行為です。それはエゴイズムの交換でもあったのでしょう。


もちろんコンサートではファンサばかりやってるわけではありません。踊っています。かなり踊っています。9人での複雑なフォーメーションが組まれたダンスをいうのがJUMPの売りであると思っているらしく、オープニングもダンス曲ですし、ダンスナンバーはふんだんに盛り込まれています。それも大きな見所となりました。
でも花道を歩いたり客席間をトロッコで通ったりするファンサの時間もたっぷりと取られています(個人的には、ダンスとファンサが交互に表れるので流れが単調で全体の盛り上がりに欠けると思います)。
いいとか悪いとかでなく、独特の光景だなあと半ば呆れ半ば感心して見てしまいます。
これから大きなハコでやっていって、より多くの人を満足させようとするなら、こういうやり方を続けるべきではないと思います。演出を工夫して見せることで物理的に近くに行かなくても満足感を与えられるようなやり方を考えてほしいです。
でもそれは「変わってほしい!」とムキーと思わずとも、変わっていくような気がします。JUMPのファンのメイン層は、彼らと同世代です。前よりじゃっかん年齢層が上がっている気がするので、おそらく一緒に年を取っているのでしょう。数年前は少女だった人々も、少女と呼ぶのはじゃっかんためらわれるような年齢になってきました。JUMPも来週(!)知念くんが誕生日を迎えればメンバー全員が成人となります。少年という年齢でもなくなってきました。欲望と不安を交換していたという意味でお似合いの組み合わせだった少年と少女たちももうどちらも大人です。おそらくファンが求めることもファンが求めていると彼らが思うことも変わっていくのではないかと思います。そうしたらコンサートでやることもまた変わっていくことでしょう。
変わっていくかもと思いつつ、でももしかしたら洗練されたシステムとしてあの形式は残っていくかもとも思います。あの熱狂がそう簡単に霧消するとも思えませんし。その前にファンが入れ替わる可能性もありますし。今後の展開はよくわかりません。
何を言いたいかよくわからなくなってきましたが、DVD見ながら改めて「なんか、すげえなこれ」と感じ入ったという話です。