ばいばい、またね

終りましたね、宿題くんが。
この番組にはこれといって思い入れとかないので、終わるって聞いたときも別に「ふーん?」てかんじで特に感慨もなかったし、最終回も「あ、最終回って今日なんだ」っていつもどおりにだらっと見る予定だったんだけど。
泣いたよね。
号泣だったよね。
あの作り方はないだろ!しくだいのくせに卑怯だろ!!人を泣かせにかかるんじゃねえよ!!
しかもわたしが何よりも愛してやまないピーマン潜水をリバイバルさせるとかさあ!ばかじゃないの!最高すぎるだろ!!「ブランクだな」って最後に名言放つんじゃねえよ!!
真夜中もCもDもGも、わたしは本当に大好きで、おもしろくない回だっていくらでもあったし最初は戸惑いしかなかったし、それでもあのころの嵐が大好きで、手探りで作っていくひとつひとつのものが愛しくてしかたなかったのは確かなこと。わたしが大好きだったあの一瞬一瞬がちょっとずつ映るたびに、それを懐かしそうに語るのを見るたびに胸が締め付けられる。ああ、わたしの青春だと、間違いなく思う。そして、いろいろあったね楽しかったねって語る様子を見て、彼らにとっても青春だったのだと思う。もちろんわたしは単にテレビの前で見てるだけだったけど、それでも青春を共有してたのだと甘い錯覚を覚えさせてくれる。あの地下のスタジオの埃っぽさを、わたしも感じてたように思う。そんな贅沢なことってなかなかない。
松本くんが「へタレまつじゅん」というキャラを打ち出して早々と頓挫した真夜中の嵐なんてつい最近のことな気がする。でも100年前のことな気もする。あいばくんがトンビに襲われた千葉の浜辺も、5人で行った車椅子バスケも、城ホールの楽屋からやった枠撮りも、「チャーミングだなあ雅紀は」という名言も、廃墟もピーマン潜水もマネキン探しももぐら探しもスピードボールも神経衰弱も思い出すたび幸せな気分になれる。すごく遠くにあるような、でもいつもすぐ近くにあるような思い出がたくさんある。そういうものを作ってくれて、わたしの日々に彩りを与えてくれて、今でもこうやって温かい気持ちにさせてくれて、すごく感謝している。
Gが終って宿題くんになったとき嫌で嫌で仕方なかった。水曜の夜に嵐に会えないことが憂鬱でしかたなくて半年くらいは水曜ごとに嘆き悲しんでいた。諦めとともに宿題くんを受け入れるまでにずいぶんかかった。
でも、わたしの好みではなかったけど、宿題くんという番組によっていろんなものを獲得したことも事実でしょう。いま嵐の魅力が語られるとき「5人それぞれに違ったキャラクターがある」という風によく言われるけど、その多くはこの番組での経験によって得られたものでしょう。ファンも飛躍的に増えていった。そういう意味ではすごく重要な番組だったと思う。こうやって編集されると、同じスタッフでチームとしてやっていったんだと感じるし。
総集編として過去映像いっぱい流したりしないで、パジャマ着て修学旅行みたいに布団ひいて思い出語って、ずっとやってきた嵐とスタッフの矜持を感じる最終回でした。薄暗い中ロウソクに映し出される5人の顔が美しすぎた。(しわも毛穴も映らない薄明かりバンザイ)
楽しかったこといっぱいあった、でもそれはすべて過去のことなのだと、こうやってパジャマ着てる今日も思い出に変わってしまうと、そのことがせつなすぎる最終回でもあった。誰も時の流れを止めることはできない。終っちゃうのがどんなに嫌でもふっとロウソクが消えるように、すべてに終わりはきてしまう。開きまくった青春の小箱を泣きながらまた閉じた月曜の深夜でした。
思いきり「卒業写真」を歌いたい気分です。あなたたちはわたしの青春そのもの。あのころの生き方をあなたたちは忘れないで。
楽しいこといっぱいありました。ありがとう。ありがとう。ありがとう。
また会えるかはわからない。でもそのときを願って。ばいばい、またね。