うつくしさ

買ってしばらくはあまり見ていなかった去年のサマリーのDVDを最近よく見ています。
実際に見た時も「なんてかっこいいの!!!!」って思いましたが、映像で見ても「なんてかっこいいの!!!!」と思います。でも同時にとてもせつなくなってしまいます。今の裕翔くんとそこに映っている裕翔くんがまったく違うからです。髪型も顔も表情もあふれ出る決意も今とは違います。サマリーの映像を見ていたら、「ああああああああ!!!!この時の裕翔くんは今はもうこの世のどこにもいない!!!!!」と思って悲しくなってぼろぼろ泣いてしまいました。
裕翔くんを追いかけるようになってからいつもこうです。いつもその時のその瞬間の裕翔くんが100%で好きなんです。でも裕翔くんは見るたびに成長して変わっていきます。前に見た時の裕翔くんは次に見る時はいなくなっています。何かを獲得していくことは、それを獲得していなかった状態を失っていくことです。獲得された状態も美しいけれど、失われてしまったものもまた美しくて、失われてしまったものを惜しむ気持にもとらわれてせつなくなります。今の時点より一定以上前の映像を見ると「あああああ!!!この時の裕翔くんはもういない!!!!」と思ってしまうのであまり見れません。
そうやって悲しくなっている時に、ヘアカタログの写真を見ると「あああああああ!!!!なんという美しさ!!!!!」と単純に感動して、感動で泣けてきます。
でも、今のこの裕翔くんもきっとすぐにいなくなってしまいます。どんなに好きでもすぐに美しい過去になってしまうかと思うとせつなくなります。それに、今は雑誌の表紙と巻頭という仕事にお祭り状態になっているけれど、これからの飛躍を考えると、将来の裕翔くんにとっては雑誌の表紙を飾ることくらい相対的に些細なことになっているはずです。そうなったらこれくらいで大騒ぎできたことを懐かしむだろうし、きっと今の状態はすごく贅沢な状態ということになると思います。絶妙なバランスの上に乗っかっている上で現れている今が愛しいし、これから変わっていくことがやっぱりせつなくなります。
そんなかんじで、過去のことを思っても未来のことを思ってもせつなくなって身がよじれます。でもその度に、そんなことをぐだぐだ考えて泣いている場合ではない!今のこの美しさを堪能しなければ!!!と思い直します。
というかんじで泣いたり泣いたりじたばたしたりして忙しい最近です。