視点の獲得

ここ数日で自分の中でいろいろと新しいトビラが開かれていて上がったり下がったりなんですが、今日も今日とてそんなかんじを楽しんでます。しかし、うだうだ考えてる中で急に理解が進んだことがあります。
今まで、いわゆるジャニヲタと言われる人々の「担当」制というのが、あんまりわかってなくてですね。担降りだなのなんだって大騒ぎしてるのとか見ても「いや、別に……付き合ってるわけでもないし、決めなくてもよくね?なににそんなにこだわってるわけ?」と思っていたのですよ、正直。その人だけ好きで他は見えない!っていう人は言ってる意味わかるんだけど、むしろおまえ事務所担だろっていういろんな子に興味がある人が担当という言葉にこだわってるのが今ひとつ意味わからなかったんですよ。別にそれが悪いってわけでなく、あっちもこっちもいいね!だったらそれはそれでいいじゃんと思っていたのです。まあ、自己紹介としてはかなり有効だなあというのはわかっていたけど。
でもわかったよ、担当ってあれだね、視点の獲得なんだね。ものの見方の立脚点であり、切り取り方の指標なんだね。いろいろと見えてくる景色と聞こえてくる情報を、どういうふうに切り取るか、どういうふうに編集していくか、それを決めるのが担当なんだね。そこに焦点を当てると決めれば、それを基準にいろんな情報の自分の中での位置が決まっていくし、そこを決めた方がいろんなものがよく見える。ばらばらと浮遊してる情報の、自分との距離が定まるかんじ。それが変わると見える風景が全然違ってくる。だからこそそれを決めることと宣言することって大事なんですね。
…いや、まあ全然違うかもしれないけど。人によってこの辺の捉え方は全然違いそうですからね。というか、そんなことでなく「好き好き大好き!!世界中の彼以外の男なんてなんの意味もない!!!」というパッションだけあればそれが正解のような気がしますが。
でもとにかくわたしの中ではそういうものとして理解が進んでいます。
あと、視点をずらすと記憶の再構築がおこなわれるんだなあというのがおもしろい事実。同じエピソードでも、どこに重みをおくかによって意味が全然違ってくる。そうすると全体像が変わってくるし、忘れかけていた記憶がふいに甦ってきたりする。記憶のネットワーク構造が変わっていってるのを感じますよ。並べてたドミノを一旦がしゃーんとひっくり返して並べ直して違う角度から倒していくかんじというか、ニットを全部ほぐして同じ毛糸で別の柄を編んでいくかんじというか。そんなかんじのことが今脳内で進行中です。
あくまでまだ着地点は定まってないのですが、着実にヲタクとしてよりディープなところに進んでいる気がします。気のせいかな…。ヲタ卒したいとか言ってたのにね。3割くらい本気だったんだけど。青春の小箱にしまうどころか新しい箱作ろうとしてるよなぜかしら。